2016年 12月 04日
因果について考えてみる。今まで大なり小なり組織の中で、特に総務部とか、退社手続きにかかわる部署に所属しているときは、少なからず上司や同僚や部下と折合いが悪くなって、辞職する方がいる。往々にして、当然ながら立場の弱い方が辞めていく。 関係の悪くなった両者の罵詈雑言を聞きながら、退職手続を滞りなく進める者として心がけるのは、無心で話を聞くことである。
以前勤めていた会社の話。社長と社員の関係が致命的に破綻して、社員が退職することになった。社員はといえば、いかに社長が愚鈍で独裁者なのかを切々と話してゆく。社長はといえば、いかに社員が無能でどれだけ失敗の尻拭いをしてきたかを声高に教えてくれる。挙句、あいつの離職届は出す必要はない、など会社自体のモラルを揺るがす発言をする。ああ、憎悪とは冷静な判断を失わせるものだ。私はといえば、それは大変でしたねと頷くだけで、決してどちらがどうあるべきなんてことは言わないようにしている。どちらかに肩入れする発言をして怒りの火に油を注ぎ、書類にハンコを押してもらえなかったら
私の仕事が終わらないからだ。私は仕事を片付けたい。Silence is golden. 沈黙は金なり。
退職した社員は、履歴書に記入していたスキルが怪しく、結局業務に穴をあけ、経理的には損失。貢献しなかった者に給料を払い、不当解雇を労働組合に訴え、示談金まで受け取り去っていった。その鮮やかな手並みからして同じ手口を使ってきた詐欺の類ではないかと思う。それから半月ほどして、同業他社の人事から、当該社員の採用面接応募について、前歴期間が短いので退社理由を聞かせてほしいと電話があった。水を得た魚のように社長が事実を伝えたのは言うまでもない。その同業他社は採用に慎重らしく「それが本当に知りたかったことです。」と礼を言って電話を切った。彼は今後注意すべき人物のリストに入り、だんだんその手口は繰り返すことができなくなるだろう。悪いことをすると、結局かたちをかえて、どこかで自分にかえってくるのだな、とその時思った。
そんな採用に慎重な対応を経験したにもかかわらず、ちょうど会社の規模を大きくする時期だったこともあり、社長はどんどん人を雇い、どんどん解雇し、半年の間に20人程度も人が入れ替わり、私もその他イザコザにうんざりして辞めてしまった。今はもうその会社はない。納得はする。たくさん仕事の依頼は来ていたのだが、社長は人を使うのが上手ではなかったから。難しいね。
職場を変えても、何度かそういうことに遭遇する機会はあり、事務手続遂行したり、傍観したりしていると、当事者の言い分、「絶対に自分の方が正しい」が、かなりの確率で登場する。モメ事のあるところ、私は絶対に間違っていない。である。両者一歩も譲らず。 間違ってなかったら、もめないと思うのだがな。
明日、起こることの原因は今日のあなたにあるのです。 行いを善くし、自分は別に常に正しくはない、と思って生きようっと。
という実体験を踏まえ、これから読んでみる本。